クリエイティブメディアの多様性と社会学の影響

 

 
 

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            一度も画面を見ずに過ごした日の事を思い浮かべてみてください。1日でもそんな日がありますか?もし思い浮かべたのならラジオまで聞かずに過ごせましたか?そんな日を過ごせた確率はとても低いでしょう。結論から言うと:メディアの使用は今の社会に深く刻み込まれている。私たちの日常には欠かせないものとなり、常日頃から使用しているものです。強いて言うのなら、クリエイティブメディアの使用は人々の娯楽としてよく使われています。暇つぶしに私たちはスマホでゲームを遊び、仕事の行き帰りに音楽を聴き、家に帰るとテレビを見ます。今では他人の作る世界に没頭することが文化の一環となっているのです。小さい頃からこのような行動に携わることで次の世代にも受け継がれていきます。

            人が読んだり、聞いたり、見たりするものにも大きな影響力があります。クリエイティブメディアを詮索する際、作者側の目線で全て考えます。気づかないうちに私たちは世界を作者の目線や、作者の文化に合わせて見ています。個人の意見や価値しか知らないものはそれ以外の視点では何も作れないのです。対処法として、様々な文化や人々の知識に携わることで私たちも影響を受け、思いもしなかった発想を得ることができます。

            クリエイティブメディアに多様性を組み込むのは様々な利益があります。一番重要になるのが人々の持つ偏見を減らすことです。社会学に基づくと、私たちは少なからず1つのマイノリティグループに分類されます。性別、人種、LGBTQ+、障害者、言語、片親家庭、全てがマイノリティとして分類することができます。分類された先がたとえ低い位だとしても、その人が他より劣っているとはなりません。しかしマジョリティと比べマイノリティは、不平等な扱いや、容姿による見下しを受けます。ほとんどのものがその位を望んだわけではなく、同じ境遇のものとつるみます。

            マイノリティグループに所属しているため拒否された時は偏見による被害を受けていると言うことです。偏見は基本的に3つのレベルに区分けできます。まず初めに認知レベルでは固定観念や一般的な仮定が作られます。次に感情レベルで人は他人と接触することによって感情やその人に対する想いを覚えます。最後に行動指向レベルでは所属していないグループに対して何らかの行動を自ら行います。ほとんどの偏見による行いは家族や学校、仕事先など、周囲の影響によるものです。周囲の影響により人の言動や行動が変わるのは当たり前のことです。人は偏見をすることを常に教わっています。しかし、そう言うことなら偏見を忘れることも可能なのです!

            ここで視点の多様性に話を戻し、クリエイティブメディアとの関連性について考えてみましょう。特定のマイノリティに対する偏見をなくしたいのなら、そのグループと多く接触をし、周囲に拡散して知ってもらうことから始めます。クリエイティブメディアは特定のグループの文化を一般人口に知ってもらうにはうってつけです。その理由を社会学に基づいて考えると、2つ出てきます。1つ目は文化知識。単純に言えば、特定の文化に対しての知識をつけ、理解すると言うことです。マイノリティにメディアを使用する機会を与えると、どうあがいてもその文化に携わったものになるでしょう。それを周囲が見ることでとてもいい勉強になります。例えば、大好きなテレビショーの登場人物がインターセックスだったとします。そしてこのテレビショーを作り上げた人がインターセックスでこの人種に対して幅広い研究の末、考えたテレビショーだとします。以前のあなたはインターセックスの存在はおろか、男性や女性以外にも様々な性別があると言うことを知りませんでした。それが何と!このテレビショーのおかげで知ることができたのです!ストーリーが続くにつれ、あなたはこの文化や人たちについてもっと知ることができるでしょう。

            だからと言ってマイノリティ個人の存在がグループと同じものとは限りません。人と同様、個性というものは所属しているグループのみで判断できないのです。人はそれぞれの興味、夢、欠点や問題を抱えています。グループに所属することはアイデンティティの一部となっても、その人の全てにはなりません。

            文化知識は登場人物だけでなく、他の形式でもクリエイティブメディアに適応できます。ポッドキャストやドキュメンタリー、音楽などでマイノリティの話を聞くと思います。これは2つ目の理由、文化相対主義と関連します。しかし一般で使われる文脈とは少し異なることを覚えていてください。文化知識が勉強し、理解していく中で文化相対主義は理解とは別に、当事者の視線で物事を見ます。人は基本的に自分の価値観を元に人を判断します。文化相対主義はその反対です。当事者の視点から全て判断します。

            前のインターセックスの話題に戻りましょう。最新話では当事者の視点から物語を語っています。世界をその人の目から見ることができ、その人の考えや意見を直に感じると思います。知ることで、その登場人物とのユニークな関係性が生まれ、無知だったことが突然そうではなくなります。もし良い影響であれば、この最新話で人々は周囲の違いに対してより敏感になるでしょう。メディアの多様性はマイノリティに対する無知を知識に変え、今まで意外だった存在が後々当たり前の存在へと変わります。マイノリティを「新しい普通」にすることで、否定ではなく肯定されるようにできます。

            しかし、マイノリティグループを周囲に知らせる上で失敗した際は、そのグループに対してさらに偏見を食らう恐れがあります。よくある例が解離性同一性障害を持つ登場人物です。メディアはこのような人物を「二重人格の持ち主」、または人殺しとしてよく描きます。実際、解離性同一性障害を持つものは1つの体に別の人間が多数存在すると言う事です。全く違う性別、人格、考えを持つ人たちが1つの体を共有しています。アイデンティティや意識は違いますが、同じ体を共有する事で成り立っています。この用な事がおこる理由としては、トラウマによる病状、環境の変化に対する脳の反抗、などと様々な原因が考えられます。解離性同一性障害の人と接する際は、多数の人間がいると理解しておくと良いでしょう。全員と仲良くできるわけではありませんし、グループと話す時のように個々の人間の性格や人柄を見て接します。偽の人格を持つ凶暴な人間ではなく、存在するために環境に応じて協力しあう異なる人間達なのです。

            このようにマイノリティグループを世間に拡散する際は、作者自身がグループに所属するか、拡散できるほどの知識を身につけなければなりません。知識を持たないまま情報を流してしまうと、偽の偏見を周囲に及ぼす可能性があります。マイノリティグループに所属する人たちが共感できないのなら、それは間違った情報かもしれません。結果、正しい情報はマイノリティグループを知ってもらうためには必要不可欠なのです。

            見られている時の感情は他とは全く違います。時にマイノリティとしてぶつかる問題は自分たちだけの問題ではありません。ちゃんと存在するものなので、マイノリティが感じる問題を他人が知り、共感することで絆が生まれます。共感できると言うことはそれだけでとても強い支えとなるのです。私たちの苦労は本物です。その苦労に似たような経験を他の誰かも感じています。私たちは誰一人として孤独ではないのです。

            クリエイターがマイノリティのために前進している姿、マイノリティとしての経験を世に広めること、それはとてつもなく大きな一歩です。自分が他人の世界に存在する事、それが空想上の存在だとしても、本人には大きな影響となるはずです。認められたと言う感情。理解してもらえたと言う安心。世界のどこかに味方がいると言う認識は自信となり自らクリエイティブな環境に足を踏み入れるきっかけとなります。

            だからと言ってマイノリティが全てのプロジェクトに無理やり組み込まれるべきとは言いません。クリエイターとして、適度な配慮、間違いのない情報やマイノリティの研究をちゃんと行う機会が平等に与えられ、それを広めていく権利を持たなければなりません。マイノリティグループの一員である人もない人も、平等にメディアの多様性に感化される機会があります。私たちは全力でその機会を掴み、正しいやり方で支援していかなければなりません。


作: Mx. RuK
編集: Moonstar, Stardust Daydreamer,
Dyce Quinlivan
スエーデン語翻訳: Nega Nexus
日本語翻訳: Jamiettt

スペシャルサンクス:Skye, Maybell, LUCY,
Professor Mampilly!

追加情報:Vincent N. Parillo の Stranger to These Shores,
Project Inklings の Plurality